父なるもの

2005年7月4日 ココロ
威厳のある恐いお父さんとして振舞うことは、『父なるもの』を持っていると言うことにはならない。
外観だけ父親らしくふるまっても、それは決して父なるものを子供に出せたと言うことには決してない。

父なるものの基本は受容と共感と支持。
そしてこれをベースにして子供を愛し守るのが父だが、その守り方に特徴がある。

父は子供から一歩離れたところで敵と戦うことによって子供を守ろうとする。従っていざとなったら自分の命を捨ててでも外敵から守ろうとする。自分の命を否定できる強さ、それが父の愛である。

父なるもののもう一つの特徴は、『いいものはいい、しかし、悪いものは悪い』と判断し、悪いところは断固として否定する強さである。

つまり子供に対して受容と肯定と支持をしながらも、子供が自然の法則に逆らうような危険な行為や、社会の秩序を乱すような悪行をしたとき、それを愛でもって断固否定すること、それが父なるもののもう一つの特徴なのである。

従って、父なるものとは、常に判断と決断が伴う。

冷静かつ客観的に現状を把握・分析し、それに基づいて的確な判断と決断をするのである。
子供と一体にはならないが、常に社会の情報(政治や経済、国際情勢など)を仕入れて、しかるべき時に備えるのである。

誤解のないように添えるが、女性に判断や決断の能力がないと言っているのではない。
しかし、女性週刊紙と男性週刊誌を比べれば、興味の違いが歴然としていることがわかるはずだ。そういうところに女性のホンネは出るからである。
雑誌社もそれを知っているからそういう内容にする。
実際、女性の興味に焦点を当てると売れる。女性週刊紙の政治や経済の記事は男性週刊誌と比較すると極端に少なくなる。
すべてのものと和合することを特徴とする女性にとっては、男性ほど判断や決断を必要としないのだ。
むしろ総合力を生かした直感でもって、自分の気に入った人と一体となることに悦びと興味を示すのである。

さて、子供に父なるものが不足していると、判断と決断が出来なくなる。
恐くて行動できなくなる。
特に新しい行動をすることを怖がり、変化を怖がり、未知なるものを恐れ、昨日と違った生き方をすることを恐れるようになる。
悪い意味で保守的になる。
前例にこだわる人間といってもよい。

また自分が間違ったことや、不自然なことをしているのかどうかも区別できなくなるので、目の前の欲望にズルズルと流されて、その日暮らしになってしまう。

今、このさみしさを穴埋めできたら明日のことは考えない、という刹那的哲学になってしまうのだ。

しかも、途中で、これはやってはいけないことだと言うことに気がついても、自分の力では止められない。

これが父なるものが欠けた人の最大の悲劇なのである。

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