母なるもの

2005年7月5日 ココロ
母なるものの基本も、父なるものと同じく受容と共感と支持である。

だが、父なるものとは異なって、受容と共感と支持をベースに子供と一体化(和合)し、呑み込んでしまうのが母なる世界である。
呑み込まれた子供は、母と一体となることで母に守られる。

クジラに呑み込まれた子供を想像するとわかりやすい。
子供は、母というクジラの体内にいることになるので、
母が自分を守ることは、子供を守ることを意味し、
逆に母が死ぬことは自分も死ぬことを意味する。

母と子は運命共同体。

母が生きようとすることは、子供が生きることとイコールなのである。
子供は必死に生きようとする母を見て、ああ自分は守られていると確信するのである。
この確信が気持ちいいのだ。
母は生きることで子供を守るのである。

人が誰かと一体になったとき安らぎを感じるのは、母親との気持ちのいい一体感を連想するからだ。
人が宇宙と和合したくなるのも、同じ理屈である。

母なるもののもう一つの特徴は、自分の産んだ子供なら、たとえ犯罪者であっても愛する、と言う無条件の肯定である。
それは、どんな反社会的な行動をしていてもその命を肯定する、という絶対肯定の愛なのである。

しかし肯定的な母なる愛情が欠けると、自分は生きる価値がある人間なのだろうか、この世に存在しても良いのだろうか、と不安になる。

母なるものが不足し、共感もされず、母に恨みをいだいている人は、母のもう一つの象徴である食事の問題、摂食障害になりやすい傾向がある。

共感されていないと、おいしいのかまずいのかもわからなくなるし、空腹と満腹さえ区別がつかず、精神的飢餓感だけが異常に残ってしまうからである。

子供は生きる意欲を母からもらい、生きるための知恵は父からもらう。
そして母からは呑み込まれることによって守られ、
父からは軍隊から護衛されているように守られて、
子供は大いなる安心を得るのである。

これがないと、子供は生きることが恐くなる。

なぜなら、みんなが敵に見えるし、自分は誰からも守られていないという二重の恐怖が襲うからである。

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hiroはちゃんとお母さんに守られてきたよね。
・・・私はまだ母が怖い。気分によって傷つけられそうで、とても怖い。
この恐怖を補ってくれたのは、hiro。
hiroがいなくなったら、私の居場所はもう無い。

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