家族の愛の流れ(父親が起点)
2005年7月7日 ココロ2002年8月18日に書いた日記
家族の愛の流れをひとことで表現すると、「父→母→子」となる。母親が家族の中心であり、母親がもっぱら愛情をそそぎ世話もするが、しかし、愛情の起点は父親である。
子供の世話という行為だけに着目すると、母親が子育ての主役のように見える。
だが実は、父親の愛が母親(妻)に流れないと、母親から子には愛が流れない。
なぜなら、父親が母親を愛さないと、母親の心は安定しないからだ。夫に愛されていない妻は、イライラしてしまい、イライラしている人は、決して人を愛せない。
たとえ我が子でも愛せない。怒りと愛は正反対だからである。
夫に愛されて妻が穏やかな心になれない限り、子供を愛することができないのだ。
ただし、物理的に父親がそばにいなくても、夫に愛があれば問題はない。母親は子供を愛せる。だから子供は、母親の安定した心を見れば、父親の愛の存在を母親を通して確認することができる。
家庭がうまくいくには、夫の妻への愛が不可欠であり、父親がしっかりしているとすべてうまくいくのが家庭である。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
娘が誕生してから、母子家庭の日があると、夫がいなくても何とかなるって思っていた。
でも、夫から別れを告げられて、それが過信だとわかった。
家族の愛の流れをひとことで表現すると、「父→母→子」となる。母親が家族の中心であり、母親がもっぱら愛情をそそぎ世話もするが、しかし、愛情の起点は父親である。
子供の世話という行為だけに着目すると、母親が子育ての主役のように見える。
だが実は、父親の愛が母親(妻)に流れないと、母親から子には愛が流れない。
なぜなら、父親が母親を愛さないと、母親の心は安定しないからだ。夫に愛されていない妻は、イライラしてしまい、イライラしている人は、決して人を愛せない。
たとえ我が子でも愛せない。怒りと愛は正反対だからである。
夫に愛されて妻が穏やかな心になれない限り、子供を愛することができないのだ。
ただし、物理的に父親がそばにいなくても、夫に愛があれば問題はない。母親は子供を愛せる。だから子供は、母親の安定した心を見れば、父親の愛の存在を母親を通して確認することができる。
家庭がうまくいくには、夫の妻への愛が不可欠であり、父親がしっかりしているとすべてうまくいくのが家庭である。
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娘が誕生してから、母子家庭の日があると、夫がいなくても何とかなるって思っていた。
でも、夫から別れを告げられて、それが過信だとわかった。
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