男性と女性の特性の違いには、精神的なものと肉体的なものとがある。
それゆえに古来から男性と女性は互いに互いの特性を活かすことで協力しあってきた。
それが夫婦という家族形態を作った原動力である。
いくら男女同権や男女平等を叫んでも、本来ある性差が無くなるわけではない。
これを否定してしまったら恋愛や結婚を否定することと同義になってしまう。

男性と女性は、別に夫婦でなくても、協力しあえば相補的に互いの欠点を補い合ってとてもいいパートナーになれるのだが、しかし、理解し合うことは非常にむずかしい。
なぜなら、住んでいるココロの世界、自我の安定の要因があまりにも違うからだ。
この違いを知らないために、男女が傷つけあってしまうことがある。
傷つけるつもりがなくても、異性を傷つけてしまうのである。

■男性が傷つく場合
男性にとって、自分の男性性を受け入れることは比較的たやすいが、自分が男であることを確認することは難しい。
女性は、これも逆で自分が女性であることを確認することは比較的簡単である。
なぜなら、女性の場合生理があるし、年頃になるとみんなが女性として注目するようになる。何の努力をしなくても、ただ成長しただけで世間は注目するのである。いやがおうでも、自分が女性であることを意識させられてしまう。

しかし、男性の場合、中学校に上がった頃から、何かしないと黙殺されてしまう。学業成績がいいとか、スポーツの成績が優秀だとか、絵や作文が上手いとか、なにか秀でたところがないと誰も注目してくれなくなる。これは大変に怖いことである。
女性とはまるで正反対の出来事である。しかも、小学生の頃は、かわいい男の子で通っていても、中学生になったら誰もかわいがってはくれなくなる。
その点、女の子は逆に中学に行けばより女らしくなるので、ますますかわいがられるようになる。
つまり、男性というのは、思春期以降、自分の存在価値を見いだすことがむずかしくなるのである。
何か社会から賞賛されることをしなければ、自分の存在が軽くみられて、抹殺されてしまう危機感を覚えるのである。

この危機感を女性が共感するのはむずかしい。

男性はこうした抹殺の危機があるために、社会的地位や名誉にすがるようになる。
たとえば、自分は○○大学を卒業した、とか、△△会社の部長とかの肩書きである。
たとえビリで卒要しても、あるいは形だけの部長職であってもかまわない。
社会のみんなが認める形であれば、それで十分満足してしまう。

しかし、女性の場合、社内で肩書きをあげてもあまり喜ばない。
男性の十分の一くらいしかうれしくない。
女性は実質本位なので、よりいっそう感謝され、より注目され、より尊重されるなど、現実的な利益(現実的な快感)がないと満足しない。現にある会社で、女性社員に意欲的に働いてもらおうと、多くの女性を管理職に昇格させたが、この試みはみごと失敗した。男性社員なら手放しで喜ぶところである。しかし、彼女たちは「地位が上がっても、何も変わらない」と不服だったのである。権限が多少増えたことくらいでは、彼女たちには利益として映らなかったのである。男性の発想で対処して失敗した典型例である。

この男女の違いは重要である。
なぜなら、女性は社内の地位よりも、実際の快を重視するのに対し、男性はなによりも地位を最優先として考えるのである。当然、行動にも大きな影響を与える。

たとえば、ここに同期よりも昇級の遅れている男性社員がいるとする。同期はみんな係長になったのに、彼はヒラのままだと仮定しよう。当然、気にするし悩む。だが、この悩みは女性にはなかなか理解できない。
女性はこう質問する。「平社員のままだとなにか仕事に差し障りがあるの」
男性は答える「いやない」
「係長はどこが違うの」
「係長手当が5千円でるところが違う」
「じゃああなたは、たった5千円の差で悩んでいるの」
男性はここで答えに困ってしまう。
女性に、悩みの本質が5千円と指摘されると、なんだかバカみたいなことで悩んでいたようにも思えてくる。しかし、彼は名刺に「係長」と印刷できることが夢だったのだ。昇格せずに給料を5千円値上げしてもらっても、係長昇進ではないのである。たとえ給料が下がっても昇進を手に入れたいほどなのだ。
では、なぜ昇進にそれほどの価値があるのか。
それは彼にも明確に答えられない。だが、確実に係長昇進は彼に大きな安心感をもたらすのである。
社会に自分が受け入れられているという安心感なのである。
男性特有の安心のネタなのである。
こういうことを通じて自分という存在に自信をもてるようになるのである。
その安心と自信は、1万円払ってでも買いたいくらい価値のあるものなのである。
女性の化粧や洋服と同じと考えたらわかりやすいだろう。
女性は、昇級と引き替えに減給されたら嫌がる人は多いが、しかし、男性は必ずしもそうではない。
少々なら減給されても、人の上に立ちたい。肩書きが欲しい、と考える人は少なくないのである。
それは、必ずしも見栄っ張りという理由だけではない。
自我の安定という切実な問題に因るのである。

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